サイハテで想うこと

おもいつき

静けさに想う

1人でいるのが好きか、嫌いか?と問われれば、場合によると答えている。まあ、僕のような独身中年ともなると周りの知り合いは家庭を持ってしまい、遊び相手もいなくなり仕事以外は1人でいることが多くなる。

仕事柄、物事を考えている時間が多い。コミュニケーションを取りながら思考を進める場合もあるのだけど、そのような場合は既に1人で思考した結果と第3者の結論が同じなことが多く、コミュニケーションで生まれたコメントはちょっとした飾りにしかならない。皆でデコレーションしていく過程は非常に楽しい。意味がある。

だから、1人でいるのは思考する時は好きだが、物理的な空間はスカスカなので嫌いだ。だから、場合による。簡単ではない。

物理的な空間が満たされれば、経験的に思考が鈍る。物理的な快適な空間を維持するための思考が増えてしまうから。なんとなく、可能性が小さくなる気がする。

両方を満たす何かはないだろうか?ここ、20年ほど考えているが、まだ結論は出ない。

そんな、結論が出ない静けさを持つ問題を想いながら朝刊配達のバイクの音が聞こえる4:27分。


まなびに想う

まなぶという行為は、自身が興味ある事を自身のモノにし密かに愉しみ、自分のまなびに価値を見出したヒトへ伝えることを含んでいると想う。

20歳を越えると老いがドンドンと進み、僕のような中年ともなると、まなぶ能力がほとんどなくなり新しいコト・モノを吸収することが出来ず経験を繰り返しアウトプットするのみとなるらしい。

本当であれば、とても哀しい。諦めるな中年。確かに体力的な老いは感じる。でも、まなぶという行為は衰えるどころか日々ふつふつとドロドロと湧いてくる。

例えば、若い時は全く興味がなかったアニメやプログラムなどがあげられるし、ハイキングなどのからだを動かすこともまなび始めた。

アニメに至っては、展示会などのイベントにも高校生くらいの方々に混じりながらはしゃぐし、dストアでの新作アニメチェックも毎日欠かさない。まだ、深くは学べていないけれども何人かの作画監督、監督、声優、アニメ会社とその歴史をまなんだ。

別にいい歳して恥ずかしいとも思わない。社会の役に立つかも関係ない。まなぶという行為は自分のために行えば良いのだ。自分の中にあるまなびに価値を見出したヒトへ伝えることが出来れば、その対象やレベルは構わない。大っぴらに無差別に伝えようとするから対象やレベルが問題になる。

さて、今日は何をまなぶか?まなぶことを探すことに面白さを感じながら、まなぶを想う。もう少しで夜が明ける04:28分。

何かに想う

何かに想う時。何かをではなく、何かに想う。憧れや期待でもなく嫉妬や怒りなどでもない。単純に何かについて唯々真摯に考える。

意外と何かに想うことは難しいと思う。僕の様な下世話な人間は、日常起きない例えば異性に優しくされた時などはすぐに何かを想う思考に入り込んでしまい、いつも出来ていたことが出来なくなってしまう。大変器が小さい。

でも、幸いなことに下世話な人間である故か。攻撃的もしくは無関心な相手の対応は大変得意で何かに想う思考を強くしてくれることが多い。それが、大切なヒトに向かえばいいのだけれども上手くいかないようだ。

やはり僕はのめり込むクセがあるのだなぁと何かに想いながら感じる05:12のヌルい朝。

風に想う

昨日は非常に強い風が吹いていた。この時期に吹くヌクイ風が好きだ。コートの裾も髪の毛も風に煽られて台無しになるけども、ヌククテ気持ちが良い。

地学や気象学から考えると、ヌクイこの風が吹く原理を理論的に説明できるのだろうけど、ヌクイ風を浴びた僕の気持ちは測りようがないだろう。

そりゃそうだ。ヒトの気持ちはある程度分かり合えるけど完璧に分かり合えるけどヒトは単純じゃない。

最近、春からか気持ちが若干乱れていた。今はもう春にも慣れて平常運転だ。そんな時に吹くヌクイ風は何か新しい事をする理由になるだろう。

さて、新しい事。アニメを観るか?映画を観るか?旅に出ようか?いやいや、まずは身近を散歩から?イロイロな想いが頭を駆け巡る。

部屋の中もヌククなってきた4月の5:28分にヌクイ風に吹かれて頭を駆け巡る風に想う。